【映画で学ぶスペイン語】「アマロ神父の罪」・メキシコの宗教世界

西語コラム

【映画で学ぶスペイン語】「アマロ神父の罪」に見るメキシコの宗教世界

語学を勉強する上で映画を使った勉強をおすすめします。

映画を使えば、語学を勉強できるだけでなく、その国の文化なども同時に学ぶことができるからです。

今回はメキシコの宗教世界を取り上げた「アマロ神父の罪」をご紹介。

どんな映画なの?映画のあらすじをチェック!(ネタばれなし)

「アマロ神父の罪」という映画をご存じですか?

この映画は2002年に公開された全編スペイン語のメキシコ映画で、日本でも2003年に公開されています。

メキシコのとあるカトリック教会を舞台に、戒律に背き性の快楽に溺れる若い神父やマフィアと「黒い交際」を続けるベテラン神父など宗教界のタブーが描かれており、公開当初からメキシコのみならずアメリカでも大変な賛否両論を巻き起こしました。

それでは早速、あらすじを見てみましょう。

聖職者として経験を積むためにメキシコの田舎町、ロス・レジェスに赴任してきた若き神父・アマロ。街の教会でミサなどを執り行う内、熱心に教会活動をする1人の女性・アメリアと出会います。

年も近く、お互いすぐに惹かれ合うアマロとアメリア。

しかし、アメリアには恋人がおり、アマロは聖職者の身であることから2人は自分の感情に懸命に蓋をしようとするのですが、それも長くは続きません。いつしか隠れて逢瀬を繰り返すようになり、ついにはアメリアが妊娠してしまいます。

アメリアは「子どもを産み、3人で暮らしたい」と強く望みますが、カトリックでは聖職者の妻帯は原則として禁じられています。一方、人工妊娠中絶も同じくタブーとされているため、苦しむアマロ。悩みに悩んだ末、彼はアメリアを強引に説得し、山奥の非合法クリニックへと連れていくのですが…

映画では、若い2人の背徳に加え、アマロの上司に当たるベニート神父がマフィアの家に招かれて赤ん坊の洗礼式を執り行うシーンや、見返りとして急病で倒れた際にマフィアのヘリコプターで病院へ搬送してもらうシーンなどが描かれています。

また、世俗的で上辺だけの教会から距離を置き、独自の信念を持って活動するナタリオという神父が上部組織から破門通告を受けるシーンなど、現代メキシコの宗教界の裏側を描き、一石を投じる内容となっています。

セリフで学ぶ、活きたスペイン語

スペイン語

セリフで学ぶ、活きたスペイン語を映画から勉強していきましょう!

先に単語やフレーズを7つほど紹介。

  • Perro que ladra no muerde(吠える犬は嚙みつかぬ)
  • Sirvanse(召し上がれ)
  • Es dinero malo pero se hace bueno(これは汚い金だが、いいことをするためだ)
  • Gordo!(あなた!)
  • Están pidiendo tu cabeza.(きみはクビだ)
  • Yo no quiero saber nada de ti.(私はあなたから聞きたいことなんてもう何もないわ)
  • Eres más hermosa que la Virgen(君は聖母マリアより美しい)

さて、この映画は内容が比較的重い作品ではありますが、メキシコで作られた全編スペイン語の作品とあって、活きたスペイン語を学ぶ絶好のチャンスです。

ここでは、ことわざのような言い回しや日常でよく使う表現をいくつかご紹介しましょう。

【Perro que ladra no muerde(吠える犬は嚙みつかぬ)】
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まずはポピュラーなことわざから。ベニート神父が、赴任してきた新進気鋭のアマロを激励し「吠えるコブラほど噛みつかないから自由にやってみなさい」と背中を押すシーンで登場します。一般的に「犬」という所をあえて「コブラ」というあたり、ベニート神父自身も旧態依然としたカトリック世界に辟易していたのかもしれません。

【Sirvanse(召し上がれ)】
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こちらは、神父の集まりで料理の腕を披露したガルバン神父のセリフ。

「利用する」「(自分に)食べ物を取り分ける」という意味の動詞servirseの命令形です。

相手が1人であれば “Sirvete.” となりますが、このシーンでは複数に向けて言っているのでustedesの活用が使われています。

ちなみに、メキシコではvosotros/vosotras(君たち)の活用はほぼ使われず、相手が複数の場合全てustedes(あなたたち)で表現します。

Es dinero malo pero se hace bueno (これは汚い金だが、いいことをするためだ)
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何とも不穏なセリフですね。

ベニート神父がマフィアと黒い交際をして得たお金について語るシーンで使われるこのセリフ。hacerは「~する」という意味の動詞ですが、「~になる」という意味もあるので「これは汚い金だが、いい金になるんだ」と訳すこともできるでしょう。

Gordo! (あなた!)
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これもメキシコでよく使われる表現で、夫や親しい男性に対して愛情を込めて呼びかける時に使います。さらに縮小詞をつけて“Gordito!”というのも人気です。

旦那さんを「デブ!」などと呼んでいるのを見るとビックリしてしまいますが、メキシコ人の口の悪さは愛情の裏返しであることが多いので心配は要りません。(女性を呼ぶときはGorda!となるわけですが、さすがにGordoよりは頻度は低い模様。)

Están pidiendo tu cabeza. (きみはクビだ)
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pedir(求める)を使った
「彼らは君の頭(首)を求めている」=「君をクビにしなくてはならない」
という表現になります。新聞社に勤めるアメリアの恋人・ルベンはアマロのことを良く思っておらず教会に批判的な記事を書くのですが、アマロは新聞社に圧力をかけルベンをクビにさせてしまいます。それを上司がルベンに告げたのがこのシ―ン。

ちなみにアメリアはこの時既にアマロに惹かれており、ルベンにとことん冷淡に接します。

Yo no quiero saber nada de ti. (私はあなたから聞きたいことなんてもう何もないわ)
聞きたいことメキシコ

納得できないルベンは道でアメリアを待ち伏せし必死に声をかけるのですが、彼が愛しいアマロを陥れようとしていると思い込んでいるアメリアは聞く耳を持ちません。それどころか、このセリフを容赦なく投げつけ、ルベンを失意のどん底に突き落とします。

saber de ○○は「○○から連絡を受ける/便りをもらう」
という慣用句です

¡Cuánto quería saber de tí! (あなたからの連絡をどんなに待っていたか!)
連絡

という感じで使われます。事務的な連絡というよりは、近況報告やちょっとした挨拶といった感じです。

Eres más hermosa que La Virgen (君は聖母マリアより美しい)
聖母マリア

さて、最後に美しい表現を。

アマロが信者の1人から献上された煌びやかな布を戯れでアメリアにかけ、このセリフで称えるのですが、いかにもメキシコ人らしい甘い口説き文句です。しかし、La Virgenというのは固有名詞の「処女」、つまり聖母マリアその人を指す言葉だということを踏まえると、かなり大胆不敵な表現と言えます。

アマロの情熱が伝わってくる一方、聖職者としての一線を超えている彼にノーと言えず、あまつさえ愛してしまうアメリアの恍惚とした表情が印象的なシーンです。

メキシコの宗教文化について

映画の理解を深めるため、メキシコの宗教文化についても勉強してみましょう。

メキシコは、国民の約8割近くがカトリック教徒で、そのうち約半数が毎週礼拝に参加するとされるなど、敬虔な信仰文化を持つ国です。

そのため、妊娠中絶は「神から授かった尊い命を消す行為」として長らく厳しい批判に晒されてきました。2007年4月には妊娠12週までの中絶を合法とする法案がメキシコ特別行政区議会で可決されたものの、それ以前は中絶をする場合いわゆる「闇医者」に頼らざるを得ず、そのような違法中絶件数は年間100万件にも及んだとされています。

映画「アマロ神父の罪」が公開された2002年当時はまだ、強姦による妊娠や母体に危険があると認められる場合しか中絶が許されませんでした。そんな中「カトリック社会における妊娠と中絶」を最大のテーマとし、現代社会の宗教のあり方に鮮烈に疑問を投げかけたこの作品が、国内外の保守派勢力や厳格なカトリック教徒から凄まじいバッシングを受けたことは容易に想像できます。

とはいえ、もちろん素敵な一面もありますよ。

メキシコの街を歩くと、築数百年をゆうに超える歴史ある教会をあちこちで見ることができます。当時の建築様式がそのまま残る荘厳で美しい建物は、見ているだけで圧倒されます。

そして毎週日曜日になると、教会周辺は礼拝に訪れる人々で賑わい、チュロスや軽食、フルーツの屋台が並びます。
私はクリスチャンではないのですが、その雰囲気と中にキャラメルソースが入ったチュロスがいたく気に入ってしまい、日曜日にはしょっちゅう教会周辺に出かけていました(笑)

メキシコ人は、普段は細かいことを気にしませんが、宗教に関しては厳格な人が多いようです。

アグアスカリエンテス州でも、普段スラングばかり言っておちゃらけている同僚が日曜日に教会で真剣に祈りを捧げていたり、いかつい格好をした強面の男性が教会を通り過ぎるときに胸の前でそっと十字を切っていたりと、その内面の敬虔さに驚くことがしばしばあります。

日本ではあまり見られない光景ですよね。

また、メキシコ独特の宗教行事として「聖母グアダルーペ巡礼」があります。聖母グアダルーペは、1531年12月9日にメキシコシティ郊外にあるテぺヤックの丘に現れたとされる伝説の聖母で、褐色の肌をしていたという言い伝えから「聖母マリアがメキシコ人の姿で現れた」と解釈され、今なおメキシコで最も愛されている聖人です。

この聖母グアダルーペへの彼らの信仰は日本人の私たちには想像もつかない程厚く、毎年12月になるとメキシコ各地からグアダルーペ寺院を目指し信者が集結します。中には遠方から数ヶ月前に出発し、一家揃って自転車や歩きで来る人も…!

グアダルーペへの参拝は仕事よりも重要だと考える人も少なくなく、このグアダルーペ巡礼による休暇取得を認めている会社もあるようです。

いかがでしょうか。

気さくで明るいメキシコ人にも、深い信仰心やそれに伴うタブーがあります。

映画「アマロ神父の罪」はそんな現代メキシコの「闇」の部分が垣間見られる数少ない作品ですので、「いつかメキシコに行ってみたい!」という方や「ラテンアメリカのカトリック文化が気になる!」という方はぜひチェックしてみてくださいね。

今回の記事はいかがでしたか

メキシコにも様々な文化背景があり、奥が深いです。 宗教一つをとっても様々な価値観や生き方捉え方があります。 私たち日本人は宗教という信仰心はメキシコ人ほどないので見習いたいと思いますね

ほかにもスペインの情報やスペイン語について記事を書いています。

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りょー(@pawnspanish)

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